概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
不二見城(ふじみじょう)は、香川県観音寺市大野原町中姫に所在する三豊平野南部・柞田川中流域北岸に突き出た標高約45メートル(比高約20メートル)の河岸段丘台地先端部に築かれた中世平山城(丘城)跡である。通称「中姫城」。近隣の山東・粟井方面を扼した名城・藤目城主である斎藤氏(斎藤師郷)の有力支城(出城)であり、斎藤氏の家臣・大西覚右衛門秀実が城主を務めたと伝わる。南面を流れる柞田川の氾濫原と急崖を天然の防壁とし、台地上を堀切で掘り切って主郭を独立させた縄張を持つ。城域の中央部を県道242号線が切り通し状に貫通したため遺構の分断が見られるが、現在も神社(荒魂神社)が祀られる主郭平坦面をはじめ、虎口、腰曲輪、土塁、石積み跡、切岸が残存する。西讃地方における平野部境目の防衛構造を伝える城郭である。
歴史的役割
西讃岐の重鎮・香川氏の傘下にあった藤目城の西側前哨拠点として、阿波・伊予・讃岐の三国道が交差する大野原盆地・柞田川流域の監視と防衛を担った。天正期に入ると土佐の長宗我部元親が伊予境・白地方面から阿讃山脈を越えて讃岐へ侵攻を開始。藤目城を巡る激しい攻防戦が展開されるなか、不二見城もその外郭防衛線の一翼として長宗我部軍に対する警戒・迎撃にあたった。天正6年(1578年)の藤目城落城や、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国征伐で長宗我部勢が降伏・退去する過程で役割を終え廃城となった。城主の大西氏はその後も地域に土着し、近世の大野原開拓(大野原井手や新田開発)に関わるなど地域の発展に影響を与えた。中世末期における国人被官の出城・砦の実態と河川沿い台地を利用した城郭配置を今に伝える貴重な遺構である。
見どころ
柞田川を見下ろす台地先端部に削平された「主郭(神社境内)」および周囲に配された「腰曲輪」、主郭への導入部に残存する「虎口」および土塁・「石積み」痕跡、台地続きを遮断していた「堀切(現在は県道242号の切通しとして利用)」痕跡、柞田川沿いの南面急斜面を削り落とした険峻な「切岸」地形、城址高台から望む大野原の田園集落・柞田川の流れおよび阿讃山脈(雲辺寺山方面)の遠望景観、近隣に点在する古代の国史跡「大野原古墳群」および赤岡山古墳との複合的な歴史景観
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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