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100名城・続100名城 -
別称 城山、虎丸山城、虎丸要害、虎丸城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 416.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者寒川光益
築城年南北朝時代〜室町時代初期頃(戦国期寒川氏・十河氏改修)
廃城年天正10年(1582年)長宗我部軍の侵攻・中富川合戦前後に廃城
主な城主寒川氏、安富氏、十河氏、三好氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:416.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

虎丸城(とらまるじょう)は、香川県東かがわ市与田山に所在する讃岐平野東部と阿讃山脈の接点に聳える名峰・虎丸山(標高約417メートル、比高約370メートル)山頂部に築かれた東讃屈指の大規模中世山城跡である。通称「虎丸山城」。南北朝期に東讃の有力豪族・寒川光益が築いたと伝わり、寒川氏累代の詰城として機能した。釣鐘状に屹立する山容自体が天然の要害であり、山頂の主郭(本丸)を中心に東尾根および西尾根沿いに二の丸、三の丸、帯曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や竪堀が掘削され、主郭周囲には野面積みの石垣(石積み)や土塁、険峻な切岸、籠城用井戸跡が良好に残存する。阿波と讃岐を結ぶ主要街道(白鳥街道)を眼下に扼する戦略的立地にあり、現在は登山道が整備され瀬戸内海を一望できる。

⚔️ 歴史的役割

東讃岐の旗頭である国人領主・寒川氏の本拠防衛ネットワークにおける最終軍事拠点であり、戦国期における三好氏の讃岐支配および長宗我部氏の四国統一戦の激戦の舞台となった。寒川氏は平時の居館である昼寝城を拠点としつつ、有事にはこの峻険な虎丸城に拠って東讃の覇権を維持した。戦国後期、三好長慶の弟・十河一存が東讃に進出すると寒川氏はその軍門に降り、城は三好・十河氏の阿讃連絡網の重要拠点として再編された。天正10年(1582年)、土佐の長宗我部元親が十河城や勝瑞城へ向け大攻勢を仕掛けると(中富川の戦い)、虎丸城も激しい攻防戦の末に落城または開城。長宗我部氏の四国平定および天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国征伐を経て、生駒親正が讃岐に入封した際に破却され廃城となった。峻険な独立峰に築かれた中世山岳要塞の威容を今に伝える貴重な遺構である。

👀 見どころ

標高417mの虎丸山山頂に削平された広大な「主郭(本丸跡)」および尾根筋に連なる「二の丸・三の丸」の曲輪群、主郭縁辺部などに現存する中世山城の「野面積み石垣(石積み)」遺構、尾根続きを鋭利に断ち切る「大堀切」および斜面に落ちる「竪堀」、山腹を急峻に削り落とした威圧的な「切岸」と主郭周囲の「土塁」、長期籠城を支えた山頂付近の「井戸跡」、山頂展望台から眼下に広がる東かがわ市街地・引田湾・瀬戸内海(播磨灘)および阿讃山脈連峰の大パノラマ眺望、山麓のとらまる公園に設置された虎丸城案内板および登山道入口の標柱

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR高徳線三本松駅から東かがわ市コミュニティバス(白鳥白羽線等)で約15分「とらまる公園」下車、虎丸山登山口より山頂本丸まで登山約50〜60分、またはJR讃岐白鳥駅からタクシーで登山口まで約10分(東かがわ市与田山字城山・虎丸山山頂一帯、主郭標高約417m、山麓平野部平地比高約370m)

車でのアクセス

高松自動車道 白鳥大内ICから国道318号経由で南へ車で約10分(とらまる公園駐車場まで約8分、登山口まで約10分)

駐車場

有(とらまる公園駐車場・虎丸山登山口前駐車スペース、普通車無料約100台)

📍 周辺地図

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