概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(多門櫓・三重県指定有形文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:西出丸二之門、先:市内橘町西町山門・蓮光寺山門等) |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
亀山城(かめやまじょう)は、三重県亀山市西丸町に所在する鈴鹿川北岸の標高約68メートル(比高約30メートル)の河岸段丘舌状台地先端部に築かれた平山城跡である。三重県指定史跡。文永2年(1265年)に関実忠が若山に築城したことに始まると伝わり、天正18年(1590年)に豊臣系大名の岡本体現が入封して本丸・天守・二の丸などを備えた近世城郭として大改修された。かつて天守が存在したが、寛永年間に丹波亀山城の天守解体を命じられた堀尾忠晴が誤って当城の天守を取り壊したという「天守解体の伝承」が有名である。現在、本丸南西隅の高石垣上には天守代用として寛永年間に本多俊次により建造された白漆喰総塗籠の「多門櫓(旧多門櫓)」が現存し、三重県内で唯一現存する城郭建築として県指定有形文化財に指定されている。城内には高石垣、土塁、空堀、堀切、切岸、移築城門が良好に遺存する。
歴史的役割
東海道五十三次第46番目の宿場町「亀山宿」を直下に扼し、鈴鹿峠越えを控えた畿内・中京間の東西交通の要衝を守る軍事・街道監視の最重要拠点として機能した。中世伊勢の名族・関氏十二代の居城として栄えたが、織田信長の伊勢平定により関氏は追放。豊臣政権下で岡本体現が入り本丸・石垣を整備した。江戸時代に入ると東海道の要衝であることから譜代大名の配置拠点となり、三宅氏、本多氏、菅沼氏、井伊氏、板倉氏などを経て、延享元年(1744年)に石川総慶が6万石で入封。以後は明治維新まで石川氏11代が亀山藩政の中枢を担った。明治の廃城令や戦災を免れて現存する多門櫓は、近世城郭建築の遺構として極めて高い歴史的価値を誇り、東海道筋の要衝を守備した譜代小藩の城郭構造を今に伝える第一級の遺構である。
見どころ
本丸南西隅の野面積み高石垣上に堂々たる姿で現存する三重県指定有形文化財「亀山城多門櫓(県内唯一の現存城郭建造物)」、多門櫓を支える高さ約13mに及ぶ野面積み・打込接ぎの雄大な「多門櫓下高石垣」および「本丸石垣」遺構、本丸跡を取り巻く重厚な「土塁」および段丘崖を鋭く削り落とした威圧的な「切岸」、二の丸と本丸を分断する深大な「空堀(堀切)」跡、市内の橘町(蓮光寺等)に移築現存する「旧西出丸二之門」、城郭に隣接する亀山市歴史博物館(亀山藩政資料・城郭模型展示)および亀山公園、三重県指定史跡標柱・詳細な縄張解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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