概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
須崎城(すざきじょう)は、高知県須崎市須崎字城山に所在する天然の良港・須崎湾(土佐湾)北岸に突き出た標高約64メートル(比高約60メートル)の独立丘陵「城山」頂部に築かれた中世山城・海城跡である。通称「城山」「津野城」。文安2年頃に土佐七雄の一角である新荘川上流・津野山郷の領主・津野之高が土佐湾への進出拠点・水軍基地として築いたと伝わる。南を須崎湾、東を新荘川河口低湿地に囲まれた天然の要害に位置し、山頂の主郭(城山神社境内)を中心に尾根沿いに段状の曲輪群を展開させた連郭式縄張を持つ。北背後の尾根筋には敵の侵攻を遮断する堀切や竪堀、斜面を削り落とした険峻な切岸、曲輪縁の土塁跡が遺存する。津野氏の海防・流通拠点として機能し、戦国末期に長宗我部元親が津野氏を屈服・同化させる過程で接収され役目を終えた。現在は山頂に城山神社が鎮座し、須崎湾を一望する展望地となっている。
歴史的役割
土佐七雄として中世中南部山間部を支配した津野氏が太平洋への海上交易・水軍力を確保するための軍事・経済中枢として機能した。津野氏は姫野々城を本拠としていたが、新荘川水運を下り外海へ抜ける須崎港を掌握することで物資流通や塩・海産物の利権を抑えた。戦国後期、岡豊城から勢力を伸ばす長宗我部元親は津野氏領への侵攻を本格化させ、激しい抗争の末に元親の三男・親忠を津野氏の養子として送り込むことで津野氏を実質的に傘下に収めた。この際、須崎城も長宗我部氏の土佐湾南部海上連絡線および水軍ネットワークに組み込まれ、四国平定戦や九州出兵における補給・出撃の中継港湾防衛を担った。関ヶ原合戦後の山内一豊入封期には城郭としての機能は完全に失われ、港町・須崎の発展の礎となった。中世山岳武士団が外海進出を果たした海城の典型例として貴重な史跡である。
見どころ
山頂主郭背後の尾根筋を鋭利に掘削して遮断した「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭を取り巻く削平段の段差を示す険峻な「切岸」および曲輪縁の「土塁」痕跡、山頂に鎮座し城址の主郭遺構をとどめる「城山神社」境内、主郭展望地から眼下に見下ろす須崎湾(リアス式海岸の天然良港)・須崎市街・新荘川河口・太平洋のパノラマ眺望、中世須崎港の水運遺構と連携した城下湊町景観、登城路入口に設置された須崎城跡標柱・解説案内板