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100名城・続100名城 -
別称 城越山、浮津要害、松本城、浮津城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 62m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者惟宗氏
築城年室町時代頃(戦国期惟宗氏、天正2年・1574年長宗我部氏改修)
廃城年天正年間(1574〜1580年代長宗我部氏平定に伴い廃絶)
主な城主惟宗氏、北村氏、長宗我部氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:62m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

浮津城(うきつじょう)は、高知県室戸市浮津字松本に所在する室津川河口北岸に突き出た標高約60メートル(比高約50メートル)の独立丘陵頂部「城越山」に築かれた中世山城・海城(砦)跡である。通称「城越山」。室戸地域を支配した在地豪族・惟宗氏(室津氏)によって築かれたと伝わり、室津川対岸(南側)の室津浦城とともに室津川河口港(室津港)を挟み込むように防備を固めていた。山頂の主郭は現在愛宕神社の敷地となっており、背後に小高い削平壇が遺存する。北に続く尾根筋は現在墓地等に変貌しているが、南面および東面の急峻な斜面には人工的な切岸地形が明瞭に残る。天正2年(1574年)に長宗我部元親によって攻略され、元親の家臣・北村閑斎が守ったとされる。太平洋に突き出た室戸半島西岸の海上交通と港湾を監視する典型的な湊口要塞の構造を留めている。

⚔️ 歴史的役割

室戸半島西岸の要衝である室津湊の海上交通・水運監視および安芸郡東部の境目防衛拠点として重要な軍事的一翼を担った。室津川河口は天然の良港として古くから船溜まりに利用され、土佐湾から紀伊水道へ向かう海運ルートの補給・退避拠点であった。安芸城の安芸国虎が滅亡した後、東部進出を急ぐ長宗我部元親は天正2年に室戸地域へ侵攻。浮津城・室津浦城・室津城など惟宗氏の防衛拠点は相次いで陥落し、元親は側近の北村閑斎を浮津城に配して室戸半島の制圧と海上哨戒を命じた。長宗我部氏が阿波・土佐国境を完全に掌握した後は、四国平定戦における水軍中継基地および阿波沿岸への出撃拠点として後方支援を担った。関ヶ原合戦後の山内一豊入封期にはすでに役目を終えており、近世を通じて港町の鎮守(愛宕神社)の神域として守られた。中世在地海民・国衆の港湾防備と戦国期領主の海防戦略を物語る遺跡である。

👀 見どころ

室津川河口に面した標高60mの山頂に位置し城館の主郭平坦面をとどめる「愛宕神社境内(主郭跡)」および背後の「一段高い削平壇」、城山の山腹を削り落とし敵船・敵兵の急襲を拒絶した急峻な「切岸」地形、室津川を挟んで対峙し河口水運を挟撃・共同防衛した対岸の「室津浦城跡(城床山)」との連携縄張景観、山頂境内から眼下に見下ろす室津港・室津川河口・浮津の町並みおよび紺碧の太平洋(土佐湾)の大パノラマ眺望、南麓の国道55号から山頂へ続く石段参道(旧登城路)

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

阿佐海岸鉄道阿佐東線甲浦駅から高知東部交通バス(室戸岬・安芸駅行等)で約50分「浮津」下車徒歩約5分、または土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線奈半利駅から高知東部交通バス(室戸岬行)で約50分「浮津」下車、愛宕神社参道より山頂まで徒歩約5〜8分(室戸市浮津字松本・城越山山頂愛宕神社境内一帯、主郭標高約60m、室津川平地比高約50m)

車でのアクセス

高知自動車道 南国ICから国道55号経由で南東へ車で約1時間45分、または阿南安芸自動車道(高知東部道路)芸西西ICから約1時間15分

駐車場

有(室津港湾緑地駐車場・浮津集落公営駐車場、普通車無料約20台)

📍 周辺地図

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