概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
飯田城(いいだじょう)は、石川県珠洲市飯田町に所在する外浦と内浦を結ぶ能登半島先端部の要衝・飯田湾(飯田港)を直下に望む標高約65メートル(比高約60メートル)の独立丘陵(城山・愛宕山)に築かれた中世山城・海城跡である。通称「若山城」「城山」。能登守護・能登畠山氏の有力重臣(国人領主)であった飯田家乗が室町前期に本拠として築いたと伝わる。山頂の主郭(本丸)を中心に南北へ伸びる尾根上に二の丸、三の丸、腰曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。背後からの進攻路を遮断する深大な堀切や斜面に穿たれた竪堀、主郭を取り巻く土塁、山腹を削り落とした急峻な切岸、籠城用の井戸跡が明瞭に残る。奥能登屈指の天然の良港である飯田港を眼下に掌握し、日本海海運と製塩・鉄器流通を支配した水軍城郭の性格を色濃く備えている。
歴史的役割
奥能登(珠洲郡)支配の政治・軍事中枢であり、日本海北方航路と北陸道を結ぶ海上交通・流通網を統制する要塞として決定的な役割を果たした。城主の飯田氏は畠山七人衆の一角として家中政治に深く関与し、飯田港を拠点に上方商人や廻船勢力との交易利権を保持した。戦国後期、畠山氏の家中内訌(畠山義綱の追放劇等)が激化すると、飯田氏は親上杉派と織田派の抗争に巻き込まれた。天正5年(1577年)、越後の上杉謙信が能登へ侵攻して七尾城を包囲(七尾城の戦い)すると、飯田城も謙信の軍勢に屈し、その後の能登平定の過程で飯田氏は没落・追放された。やがて織田信長配下の前田利家が能登一国を領有するに至り、近世体制への再編に伴って城としての役目を終え廃城となった。奥能登における水運掌握領主の興亡と中世海城の遺構を今に伝える貴重な遺跡である。
見どころ
標高65mの山頂に削平された広大な「主郭(本丸跡)」および南北尾根に連なる「二の丸・三の丸」の削平曲輪群、尾根続きからの侵攻を鋭利に遮断した深大な「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」・「空堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する防衛用の「土塁」および山腹を急峻に削り落とした「切岸」、長期籠城を支えた山頂付近の「井戸跡」、山頂(愛宕山公園展望広場)から眼下に広がる飯田港の入江・飯田湾の青い海・珠洲市街地・能登半島東岸連山を一望するパノラマ眺望、山頂に建立された飯田城址碑および愛宕神社、登城路に設置された解説案内板