概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高越城(たかこしじょう)は、岡山県井原市神代町に所在する小田川中流域北岸に聳える標高約171メートル(比高約135メートル)の高越山頂部に築かれた中世山城跡である。通称「神代高越城」「伊勢城」。井原市指定史跡。戦国時代の魁として関東を制圧した名将・北条早雲(伊勢宗瑞・新九郎盛時)生誕の城として名高い。室町幕府政所執事・伊勢氏の支流である備中伊勢氏が本拠として築城した。東西に伸びる険峻な痩せ尾根の最高所に主郭(本丸)を構え、東尾根に二の丸、三の丸を連ね、西尾根へ向けて出丸・段状曲輪群を展開させた連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や横堀、斜面には連続する竪堀群、主郭周囲には土塁や急峻な切岸、籠城用井戸跡が明瞭に遺存する。昭和以降、早雲生誕の地を顕彰する城址公園として遊歩道や案内板が整備され、小田川流域の平野部を一望できる。
歴史的役割
室町幕府の幕政中枢と直結した備中伊勢氏の拠点であり、戦国期における備中・備後国境争奪戦の最前線として激動の歴史を刻んだ。北条早雲の出自は従来「一介の素浪人」とされてきたが、近年の研究により当城を領した備中伊勢氏(伊勢盛定の子)であることが定説となった。早雲はこの地で生まれ育ち、後に京都を経て駿河へ下向した。戦国後期、備中南部では三村氏と毛利氏の対立が激化。天正2年(1574年)に三村元親が織田信長に通じて毛利氏から離反すると(備中兵乱)、当城の伊勢盛景・盛秀父子は三村方に属して抵抗。天正3年(1575年)、毛利元就の軍勢(小早川隆景ら)による猛攻を受け、対岸の兵粮山(陣城)から包囲・攻撃されて激戦の末に落城、伊勢氏は滅亡した。近世大名の祖のルーツを示すとともに、織田・毛利抗争の激化に伴う備中兵乱の盛衰を物語る極めて重要な史跡である。
見どころ
山頂主郭背後の尾根筋を鋭利に遮断した深大な「大堀切」および斜面を刻む「竪堀」・「横堀」遺構、主郭(本丸)を取り囲む「土塁」および山腹を急峻に削り落とした威圧的な「切岸」、東西の尾根上に整然と連なる「本丸・二の丸・三の丸・出丸」の連郭式曲輪群、長期籠城の命脈を保った山上の「井戸跡」、山頂から眼下に広がる小田川流域の穀倉地帯・荏原の町並みおよび対岸の毛利方陣城「兵粮山」を望むパノラマ眺望、北条早雲(伊勢新九郎)生誕の地を示す「北条早雲公遺徳碑」および高越城址碑、早雲の菩提寺で伊勢氏代々の墓所が残る山麓の古刹「法泉寺」、登城路に整備された詳細な解説案内板