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100名城・続100名城 -
別称 城山、甲浦要害、吉良城、甲浦城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 44.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者吉良宣綱
築城年長禄年間(1457〜1460年頃吉良氏、天正期長宗我部氏改修)
廃城年慶長6年(1601年)頃
主な城主吉良氏、長宗我部氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:44.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

甲浦城(かんのうらじょう)は、高知県安芸郡東洋町大字甲浦に所在する天然の良港・甲浦湾口西岸に突き出た標高約70メートル(比高約65メートル)の急峻な独立丘陵「城山」頂部に築かれた中世山城・海城跡である。長禄年間に土佐七雄の一角である吉良宣綱が土佐・阿波国境の掌握と海上警備のため築城したと伝わる。四国東南端の入江深く波静かな天然の防波堤地形を城郭に取り込み、眼下の甲浦港および熊野灘・太平洋を一望する。山頂の主郭(詰の段)を中心に南北の痩せ尾根沿いに二ノ段、三ノ段、腰曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根続きを遮断する深大な堀切や急傾斜の山肌に穿たれた竪堀、主郭を取り巻く土塁、削平切岸が明瞭に遺存する。長宗我部元親による阿波侵攻の最重要中継基地として機能し、戦国期海城の卓越した防衛構造を今日に伝えている。

⚔️ 歴史的役割

土佐国東端の境目要衝であり、紀伊水道・土佐湾を結ぶ南海海運の要塞港・甲浦湊を扼する軍事・流通拠点として極めて重要な歴史的役割を果たした。古来より阿波・土佐を結ぶ街道と海上交通の結節点として栄え、戦国期には安芸城の安芸氏や阿波三好氏の脅威に晒された。天正年間に長宗我部元親が安芸郡を平定すると、本城を直轄化して水軍基地を整備。元親の阿波海部城攻めをはじめとする四国統一戦において、陸路の進撃路と海上輸送ラインを確保する一大策源地となった。文禄・慶長の役においても長宗我部水軍の出撃・補給中継拠点として機能。関ヶ原の戦い後に長宗我部氏が改易され、山内一豊が土佐に入封すると、土佐藩の番所が置かれ城郭としては廃絶へと向かった。土佐と阿波の領主が激しく争奪した境目の城であり、中世海運支配の構造を物語る貴重な遺構である。

👀 見どころ

城山山頂の南北尾根を深く鋭利に断ち切る「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭(詰の段)周囲を取り巻く「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、尾根筋に階段状に展開する「二ノ段・三ノ段・腰曲輪群」の削平段、山頂主郭から眼下に広がるリアス海岸の美しい甲浦湾(天然の良港)・甲浦市街・太平洋(熊野灘)を一望する大パノラマ眺望、城山の山麓に鎮座し城内鎮守の性格を帯びた「葛山神社」、DMV(デュアル・モード・ビークル)甲浦駅からの城山遠景、登山口に設置された甲浦城跡標柱・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

阿佐海岸鉄道阿佐東線(DMV)甲浦駅から東へ徒歩約15分、登城口(葛山神社参道)より山頂主郭まで遊歩道登山約10〜15分(安芸郡東洋町大字甲浦字城山・甲浦湾口西岸城山山頂一帯、主郭標高約70m、甲浦港水面比高約65m)

車でのアクセス

高知自動車道 南国ICから国道55号経由で東へ車で約2時間15分、または徳島自動車道 徳島ICから国道55号経由で南へ約2時間

駐車場

有(海の駅東洋町駐車場・甲浦港緑地駐車場、普通車無料約50台)

📍 周辺地図

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