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100名城・続100名城 -
別称 城山、祇園山城、久保城、祇園城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 38.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者海部友光
築城年室町時代後期(戦国時代)
廃城年天正10年(1582年)頃
主な城主海部氏、長宗我部氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:38.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

祇園城(ぎおんじょう)は、徳島県海部郡海陽町久保に所在する清流海部川の下流右岸に突き出た標高約68メートル(比高約60メートル)の独立丘陵「祇園山」頂部に築かれた中世山城跡である。通称「祇園山城」。阿波南部(海部郡)を領した国人領主・海部友光ら海部氏によって本拠の海部城に対する内陸側防衛の詰城・支城として築かれたと伝わる。北東面を屈曲する海部川の水流が天然の外堀として巡り、山頂の主郭(現在は祇園神社が鎮座)を中心に尾根沿いに二ノ段、三ノ段、腰曲輪群を階段状に配した連郭式縄張を持つ。背後の山稜側は深大な堀切で厳重に遮断され、急傾斜の山肌には竪堀や切岸、曲輪縁の土塁跡が明瞭に残存する。海部川水運と陸路の結節点に位置し、河口の海部城・海部港と連動して阿波・土佐国境地帯の要衝を抑えていた。現在は山頂に祇園神社が祀られ、海部川流域と海南の町並みを一望できる。

⚔️ 歴史的役割

阿波南端の海部川水系を統治した海部氏の防衛ネットワークにおける軍事中枢であり、阿波・土佐両国の覇権争奪戦における激戦の舞台となった。海部氏は阿波守護・細川氏や三好氏に仕えて海部郡を治めたが、戦国末期に土佐の長宗我部元親が四国統一を目指して東進を開始。天正5年(1577年)に元親が阿波へ侵攻した際、海部友光は海部城・祇園城に拠って頑強に抵抗するも、長宗我部軍の猛攻により開城・追放された。城を接収した元親は、阿波支配の最前線基地として海部城とともに祇園城の改修を進め、阿波南部から中北部に至る進撃路の兵站・連絡線防衛を委ねた。天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国征伐を経て蜂須賀家政が阿波に入封すると、阿波九城の一つとして海部城が整備されたことに伴い、祇園城は役目を終えて廃城となった。内陸水運と海岸部要塞を結ぶ中世阿波南部の境目防衛の実態を物語る貴重な山城遺跡である。

👀 見どころ

山頂主郭背後の尾根筋を鋭利かつ深大に掘削して敵の侵攻路を遮断した「堀切」および山腹斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭(祇園神社境内)周囲に遺存する「土塁」および山肌を削り落とした険峻な段差「切岸」、尾根沿いに階段状に造成された「二ノ段・三ノ段・腰曲輪群」の削平段、山頂から眼下に広がる清流海部川・海陽町の田園地帯および海部川河口(海部港)方向のパノラマ眺望、城郭の主郭跡に鎮座し地域の信仰を集める「祇園神社」、海部川の自然水流を外堀として取り込んだ天然要害の河川景観、神社参道入口に設置された祇園城跡標柱・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

阿佐海岸鉄道阿佐東線(DMV)またはJR牟岐線阿波海南駅から阿南バスまたは海陽町営バス(海南・宍喰線等)で約8分「久保」下車、祇園神社参道より山頂まで徒歩約10〜15分、または阿波海南駅から西へ徒歩約30分(海部郡海陽町久保字祇園山・海部川下流右岸独立尾根頂部一帯、主郭標高約68m、海部川平地比高約60m)

車でのアクセス

徳島自動車道 徳島ICから国道55号・国道193号経由で南へ車で約2時間、または高知自動車道 南国ICから国道55号経由で約2時間15分

駐車場

有(祇園神社参道下広場・久保集会所前駐車スペース、普通車無料約10台)

📍 周辺地図

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