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100名城・続100名城 -
別称 神代高越城、高越山城、伊勢城、高越城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 172.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者伊勢盛長(北条早雲の父・伊勢新九郎盛定の祖先伝承)
築城年室町時代前期(永享年間・1429〜1441年頃伊勢氏、戦国期毛利氏改修)
廃城年天正3年(1575年)兵粮山合戦後に落城・廃絶
主な城主伊勢氏、毛利氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:172.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

高越城(たかこしじょう)は、岡山県井原市神代町に所在する小田川中流域北岸に聳える標高約171メートル(比高約135メートル)の高越山頂部に築かれた中世山城跡である。通称「神代高越城」「伊勢城」。井原市指定史跡。戦国時代の魁として関東を制圧した名将・北条早雲(伊勢宗瑞・新九郎盛時)生誕の城として名高い。室町幕府政所執事・伊勢氏の支流である備中伊勢氏が本拠として築城した。東西に伸びる険峻な痩せ尾根の最高所に主郭(本丸)を構え、東尾根に二の丸、三の丸を連ね、西尾根へ向けて出丸・段状曲輪群を展開させた連郭式縄張を持つ。尾根筋には深大な堀切や横堀、斜面には連続する竪堀群、主郭周囲には土塁や急峻な切岸、籠城用井戸跡が明瞭に遺存する。昭和以降、早雲生誕の地を顕彰する城址公園として遊歩道や案内板が整備され、小田川流域の平野部を一望できる。

⚔️ 歴史的役割

室町幕府の幕政中枢と直結した備中伊勢氏の拠点であり、戦国期における備中・備後国境争奪戦の最前線として激動の歴史を刻んだ。北条早雲の出自は従来「一介の素浪人」とされてきたが、近年の研究により当城を領した備中伊勢氏(伊勢盛定の子)であることが定説となった。早雲はこの地で生まれ育ち、後に京都を経て駿河へ下向した。戦国後期、備中南部では三村氏と毛利氏の対立が激化。天正2年(1574年)に三村元親が織田信長に通じて毛利氏から離反すると(備中兵乱)、当城の伊勢盛景・盛秀父子は三村方に属して抵抗。天正3年(1575年)、毛利元就の軍勢(小早川隆景ら)による猛攻を受け、対岸の兵粮山(陣城)から包囲・攻撃されて激戦の末に落城、伊勢氏は滅亡した。近世大名の祖のルーツを示すとともに、織田・毛利抗争の激化に伴う備中兵乱の盛衰を物語る極めて重要な史跡である。

👀 見どころ

山頂主郭背後の尾根筋を鋭利に遮断した深大な「大堀切」および斜面を刻む「竪堀」・「横堀」遺構、主郭(本丸)を取り囲む「土塁」および山腹を急峻に削り落とした威圧的な「切岸」、東西の尾根上に整然と連なる「本丸・二の丸・三の丸・出丸」の連郭式曲輪群、長期籠城の命脈を保った山上の「井戸跡」、山頂から眼下に広がる小田川流域の穀倉地帯・荏原の町並みおよび対岸の毛利方陣城「兵粮山」を望むパノラマ眺望、北条早雲(伊勢新九郎)生誕の地を示す「北条早雲公遺徳碑」および高越城址碑、早雲の菩提寺で伊勢氏代々の墓所が残る山麓の古刹「法泉寺」、登城路に整備された詳細な解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(1城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

井原鉄道井原線早雲の里荏原駅から北西へ徒歩約30分、またはタクシーで約5分、登城口(高越城址碑・法泉寺側遊歩道入口)より主郭まで徒歩登山約15〜20分、または井原駅から車で約10分(井原市神代町字城山・小田川北岸山稜頂部一帯、主郭標高約171m、小田川平地比高約135m)

車でのアクセス

山陽自動車道 笠岡ICから県道34号・国道486号経由で北へ車で約25分、または福山東ICから約30分

駐車場

有(高越城址公園登山口駐車場・法泉寺駐車場、普通車無料約15台)

📍 周辺地図

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