概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
長尾城(ながおじょう)は、神奈川県横浜市栄区長尾台町(旧相模国鎌倉郡長尾郷)の柏尾川西岸にそびえる標高約74メートル(比高約64メートル)の独立丘陵上に所在した中世城郭(平山城・砦)跡である。「長尾砦」「長尾台の塁」とも称される。中腹には長尾氏の守護神・祖神を祀る長尾御霊神社が鎮座する。関東管領上杉氏の家宰を務め、のちに上杉謙信(長尾景虎)を輩出することになる越後長尾氏をはじめとする東国長尾氏の発祥の地として知られる。丘陵頂部を中心に曲輪や物見塚(伝物見塚)、塚畑などの平坦面が連郭式に造成され、尾根を区切る堀切や空堀、土塁、急峻な切岸加工が施されていた。丘陵上は現在畑地や住宅地となっているが、南峰から玉縄町へ抜ける切通し道沿いや神社周辺山林に土塁や堀切状の凹地、急崖が良好に残存し、道路脇に解説板が建つ。
歴史的役割
平安時代末期に鎌倉権五郎景政の末裔とされる長尾景弘が居館を構え、長尾氏を称したことに始まると伝わる。治承4年(1180年)の石橋山の戦いでは長尾定景が平家方として参戦したが、のちに源頼朝に降って御家人となった。宝治元年(1247年)の宝治合戦で長尾景茂らが三浦泰村とともに討死して一族は一時没落したが、足利尊氏の挙兵に従い越後や上野へ進出して関東管領上杉家の筆頭重臣として発展した。戦国時代には小田原北条氏の支配下に入り、玉縄城を守る重要出城(外郭支城・長尾砦)として再改修され、代官・鳥居伝十郎らが守備した。柏尾川水運と鎌倉・戸塚を結ぶ要路を監視したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で玉縄城の開城に伴い廃城となった。
見どころ
上杉謙信の祖先・長尾氏発祥の地を今に伝える長尾御霊神社の歴史環境、南峰周辺や切通し道沿いに残存する堀切・空堀および土塁遺構、柏尾川低地に向かって急激に落ち込む中世平山城ならではの険峻な切岸斜面、栄区役所により坂道沿いに設置された「長尾砦跡」解説案内板および御霊神社境内の由緒板、標高74mの城山頂部(塚畑周辺)から玉縄城跡・柏尾川流域・大船市街・富士山方面を一望する要衝ならではの眺望景観
ご当地グルメ
大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・キャベツ)料理、ハマぽーく豚肉料理