コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 宮野平家城、平家城跡、平家谷砦、宮野砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 150.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者平家残党
築城年平安時代末期
廃城年戦国時代
主な城主平氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:150.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

平家城(へいけじょう)は、福岡県朝倉市宮野(旧朝倉町)の筑後川北岸平野から立ち上がる標高約180メートル(比高約110メートル)の山頂部および尾根上に築かれた中世山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や地域史料・埋蔵文化財台帳等に登載されている。壇ノ浦の戦い後に落ち延びた平家残党が隠棲・防砦を築いたという伝承に由来する城名を持つ。山頂最高所を平坦に削平した主郭を中心に、尾根筋に沿って段状削平曲輪が連郭式に配され、背後尾根からの侵入を防ぐ空堀・堀切や急峻な切岸加工面、土塁痕跡が残存する。南麓の朝倉街道(日田往還)や筑後川流域の平野部を一望できる要害の地に占地し、戦国期には秋月氏勢力下の境目警戒砦として再利用された。

⚔️ 歴史的役割

平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)において敗れた平家一門が山峡に潜匿して防備を固めた砦跡と伝承される。室町・戦国時代に入ると、朝倉一帯を領有する秋月氏の支配下に入り、秋月本拠地(古処山城)から東南方面への外郭哨戒網を担う物見砦として機能した。宮野地区は筑前と豊後日田を結ぶ主要街道(日田往還)や筑後川水運を直下に扼する軍事交通の要衝にあたる。対岸の筑後勢力や豊後大友氏の進軍を監視・牽制し、有事の際には近隣の麻底良城や杷木城などと連動して迎撃体制を整える南東最前線の警戒網を担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の日向高鍋移封に伴って役目を終え、自然廃城となった。

👀 見どころ

山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、背後尾根筋を断ち切る空堀・堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って階段状に配された連郭式の段曲輪群、平家落人伝説を今に伝える山峡の隠匿要害地形、山頂部から宮野平野・筑後川流域・耳納連山および原鶴温泉方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ、原鶴温泉鮎料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

甘木鉄道・西鉄甘木線甘木駅から甘木観光バス(原鶴温泉・杷木方面行き)で約15分「宮野」下車徒歩約15分、またはJR久大本線うきは駅から車・タクシーで約12分、宮野集落北側の山林・果樹園道を経て標高約180メートルの山頂主郭まで徒歩約20分(比高約110m)

車でのアクセス

大分自動車道 朝倉ICから県道80号および国道386号経由で北東へ車で約8分、または杷木ICから西へ約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る